月別アーカイブ: 2010年12月

人差し指のように

ひとさしゆび

 あ、人差し指ってこんな字を書くんだ。なんて、携帯電話をいじっていた明美が突然言った。わたしは昨日買ったばかりの新品の箸でお弁当箱を突きながら、どんな字を書くんだっけ、と頭の中を掘り返す。答えはすぐに出てきた。期待とは裏腹に、べつに意外でもなんでもない漢字。明美は親切に携帯電話の画面をわたしに突き出した。「人差し指、怪我しちゃってさ」そう書かれているメールの文面が尻切れトンボになっている。
「知らなかったの?」少し呆れて明美を見た。彼女はすぐにメールの作成に戻ってしまう。親指が太い彼女は、メールを打つのにのろのろと時間がかかる。指の太さは関係ないかもしれないけれど。その間、教室で友達とはしゃぐ中村君の姿を眼で追った。彼の、狼みたいに跳ねた後頭部のかたちが、なんだか好き。ついつい眼が惹かれてしまう。あの髪は、セットするのにどれくらいの時間がかかるんだろう。あそこを、思い切りぐしゃぐしゃと撫でつけて、めちゃくちゃに壊してやりたいな、なんて思う。グラビアの女の子が表紙に載っている雑誌で、中村くんの額がばしんと叩かれた。男子達のじゃれあいって、なんであんなに馬鹿っぽくて心地よさそうなんだろう。いいストレス発散になりそうだった。わたしも女の子を相手に、大声で笑ったり、怒鳴ったり、雑誌でばこばこ殴ったり、関節技を決めたりしてみたい。一つもやり方知らないけれどね、関節技だけじゃなくて。
「人差し指ってさ」言いながら、中村くんの観察をやめて、食事を再開した。彼はもう友達といっしょに机の上に広げたグラビアの女の子を見ていた。わたし達と大差ない年格好なのに、真っ白な肌で、可愛らしいビキニを着こなし、明るい笑顔を浮かべている女の子を。「人を差すって書くのに、指で人を差したら怒られるよね」
 明美はケータイから顔を上げて、え、そうなん? と犬みたいに小さい眼でまばたきを繰り返した。あたし、めっちゃ人差してるよ。なんでダメなんーと、彼女が笑う。
 人を差す指って書くのに、人を差したら怒られるなんて、なんだかすごく矛盾しているような気がした。存在自体、否定されてるみたい。それは、例えば目の前にいる明美によく似ている。明美って名前なのに、別に性格が明るいわけじゃなくて、お昼休みは一人でお弁当を食べていることが多くて、ついつい見るに見かねて、こうしてお昼を付き合ってやりたくなるような子。ぶくぶくと太っていて、眉毛の剃り方がすごく下手で、べつに美しくもなんともない子。わたしも、人のこと、言えないけれど。あのグラビアの女の子は、なんて名前なんだろう、なんて考える。親からどういう名前を貰ったんだろう。
「おいサトシ!」と、大きな声が戸口から響く。中村くんを呼ぶ声だった。「ちょっとこっち来てみ。田口のやつ、すげーんだから」
 お、いくいく、と何人かの男子達が教室を出て行く。そういえば、中村くんの名前はサトシだったなと思い出す。そんなふうに名前で呼んだこと、ないけれど。でも、どういう字を書くのかは知っていた。聡。笑える。思わず噴きそうになった。だって中村くんは凄いバカだから。いつもテストで赤点ギリギリのバカ。ぜんぜん聡くもなんともない。でも、彼の狼みたいな後頭部はカッコいいし、友達とじゃれあう姿は子供みたいに可愛らしくて、ときおり眼が合うとニコっと浮かべてくれる笑顔は、いつもわたしの胸を貫く。
「あたし部室行ってくるわー」
 男子達は、お昼休みの前にお弁当を食べて、お昼の時間をフルに遊びに使っている。明美はお昼の開始五分でご飯を食べ終えてしまう。そんなスピードだから、ぶくぶく太っちゃうんだよって、言ってやりたい。言ってやりたいんだけど。
 頑張って。それだけ言って、明美を送り出す。部長さん、頑張れ。可愛くない女の子って、教室では浮いちゃう。だって、可愛い女子は、可愛い子と付き合いたがる。可愛くない子と付き合う子は、自ら、自分は可愛くないですって、宣言しているようなものだから。でも、どんなに教室で浮いていて、暗く思われていて、可愛くなくたって。わたしは明美のこと、すげーって思う。だから一緒にご飯を食べる。あんたが率いてる吹奏楽部さ、チョーカッコいいじゃん。あんたはそれのリーダーなんだよね。すげーよ、ホント。
 歯を磨くために、少し静かになった教室を出て行こうとすると、机の上にぽつんと置かれたグラビアの女の子に眼が止まった。負けるか、と思った。明美を見ていると、中村くんを見ていると、そう思える。負けるか。自分の名前は嫌いだった。でも、その名前の通りに生きる必要なんてまったくない。そんなの、どうだっていい。だって人差し指だって、人を差すのに使ったら怒られるけれど、人差し指がなくったら、どんだけ苦労することか。昨日買ったばかりのお気に入りのお箸だって持てなくなるし、トイレでこっそり鼻をほじることだってできなくなるし、人差し指、すげー活躍してるじゃん。
 あたしはあの二人みたいになりたいな。人差し指のように。