タグ別アーカイブ: 日常

気休め

同じことの繰り返しでも、ちょっとは変わってる。

 また同じことで悩んでるね。
 毎回毎回、同じ壁に突き当たって、同じように苦しんで、そして同じ言葉で癒されて、同じように立ち上がる。

 今日もまた、あなたの言葉に癒されて、また立ち上がれるけれど、でもそれも、どうやら気休めみたい。

 結局は人間って、だましだましの気休めしか言えなくて、一時しのぎの言葉で励まされたり前に進めたりはするけれど、でもまた同じ壁に突き当たって、同じ問題で深く落ち込んでしまうのね。

 けれど大丈夫、それってまた立ち上がれるってことだから。
 どんなに苦しくても、辛くても、いつかはまた立ち上がれるってことだから。

 どんな問題も、すぐには解決しない。
 少しずつ、自分をだましだまし動かして、そして少しでも前に、進んでいこうね。

生きていたい

生きてる

 以前書いた、小説でも詩でもない文章、『死にたいし、生きていたいし』というポストがTumblrで色々なところで流れるようになって、そのおかげでこのブログへのアクセスも増えています。きっとこれは、このサイトの中でもっとも多くの人に共感してもらえる文章なのかもしれません。

 検索のリファラを調べると、ほとんど毎日のように「死にたい」というキーワードでのアクセスがあります。その言葉をgoogleのサーチボックスへ打ち込むことに、いったいどんな意味が込められているのか、リファラの情報だけではなにもわかりません。けれど、なんだか寂しくて、悲しい気分になります。

 きっと、今日もどこかで多くの人が、誰にもはき出せない自分の気持ちを、「死にたい」というマルチバイト文字に変換して、検索フォームに打ち込んでいるのです。共感してくれる誰かを求めて、あるいは、そう、救いの言葉を求めて。

 救いがあることに、「死にたい」という言葉と同じくらいに、「生きていたい」という言葉での検索リファラがたくさんあります。けれどはたして、その言葉が救いを求めるなにかしらの信号だったとして、わたしにはいったい、なにができるんでしょう。

 死にたい。その言葉が無数にネットをただって、飛び交っていて。同じくらいに、生きていたい、そんな願いが、溢れてる。

 願わくば、生きていたいって言葉を、みんながずっと抱いていられますように。

 生きていたい。そう言葉をキーボードに打ち込んでいる間は、きっと生きていられるはず。今はただ、そう信じるしかないけれど。いつかはわたしも、誰かに生きるエネルギーを与えられる存在になれたらと思う。

 もっといい小説を書いていきたい。そう、わたしも生きていたい。

君の声は届いたよ

遠すぎるということはない

 僕たちは、いつだって力不足だから、だから光よりも、音よりも早く走ることはできない。
 遠くから叫べば、いつだって、それは遅れて相手に届くだろう。
 遠くから放てば、いつだって、それは遅れて相手に届くだろう。

 けれど間違えないで欲しい。それは決して届かない想いなんかじゃない。
 今は届かないと思うかもしれない。けれど、間違えないで欲しい。それは、今はまだ届いていないだけだ。

 きっといつか、君の元へ届く。
 きっといつか、誰かの元に届く。

 ほらね、
 君の声は届いたよ。

 あなたの声は、聴こえたよ。

こんなわたしでも

ときどき寂しくなることもあるけれど。

 ひとの好みって不思議だね。
 苦いものや、甘いもの。そんなものが好きなの? なんてびっくりしちゃうくらいに、珍しいものを好きになっちゃう人もいて。

 こんなわたしでも、見てくれる人がいる。
 こんなわたしでも、好きだと言ってくれる人がいる。

 きっと人間は、ひとりひとり自分だけの好みを持っている。他の誰とも違う、花や言葉、色の中から、たった一つ、それだけを選んでしまう奇跡。その一つ一つがDNAみたいに連なって、螺旋を描いている。だから人間のかたちは、こころは、みんなそれぞれ違ってる。

 だって、こんなわたしを好きでいてくれるあなたがいるんだもの。

 だからあなたも、一人じゃない。砂粒の中からたったひとしずくを選び出すように、あなたを好きになってくれる人がきっと現れる。

悔しい

勢いよく、蹴り出す。

 苦しい、と思うとき、きゅっと唇をかみしめる。
 悔しい、と思うとき、ぐっと拳を握りしめる。

 気持ちを握りつぶすようにして熱くあたためた力は、わたしの中から飛び出すときを待っている。
 一歩を踏み出し、唇をかみしめたまま、前へ歩き出せ。
 握りしめた拳を振り上げ、大きな声で叫びを上げろ。

 わたしは負けない。
 わたしは負けないよ。

 悔しい、と思う気持ちは、エネルギー。電力やガソリンにだって勝る。わたしのエネルギー。

楽しいことだけ続かない

こんなにも好きだから

 楽しいことだけ苦しくて、楽しいことだけ続かない。
 好きなことなのに苦しくて、好きなぶんだけ続けられない。

 こんなにも愛しいのに叶わなくて、こんなにも愛しいから望めない。

 続かなくて、苦しくて、それでもやめられないのは、

 きっとわたしの中の遺伝子に、深く刻まれた歴史のせい。

 あなたが続けられなくて、苦しくて、泣いているのは、あなたの魂に、それが深く刻まれているから。

 そのことがどれだけ大切なことか、忘れないで。

それでいいんだよ

それでいいのだ。

「それでいいんだよ」
 立ち止まって、手をこまねいている人がいたら、そう声をかけてあげたいの。

 それでいいんだよ。まっすぐ進んで、振り向かないで。
 それでいいんだよ。

 立ち尽くして、途方に暮れている人がいたら、そう励ましてあげたいの。
 それでいいんだよ。
 そのまままっすぐ、踏みとどまらないで。
 
 誰だって、自分のしていることが本当に正しいのか、間違っているのか、判断できなくて、自信を無くして迷ってる。
 このまままっすぐ進んでいいの?
 この道は間違えてるんじゃない?

 大丈夫、まっすぐ進んでいいんだよ。

 自分にそう言い聞かせて、立ち止まらずに歩いていきたい。
 ときには誰かを導いて、ときには誰かに導かれて、みんなと一緒に歩いていきたいから。

壊したくて、壊れたくて

壊したいのに、壊れたいのに

 子供の頃は、色々なもの作っては、すぐにそれを壊した。
 自分で作ったものを片っ端から、どんどん壊していく。その心地よさったら、どこから来るのだろう。

 積み木や砂山はもちろん、折り紙で作った動物や、組み立てたプラスチックの小さなプラモデル。

 どんどん作って、どんどん壊した。

 大人になったら、どうしてだろう。自分で作ったものを壊すことは、ほとんどなくなってしまった。

 子供のとき、あんなに壊したい壊したい、と無邪気に暴れていた感情は、大人になった今は、壊れたい、壊れたいと、内側へ向いている。
 たぶん、作ったものを壊せなくなってしまったのは、もう同じものは作れないだろうという予測が働いてしまうから。それ以上のものを作れないだろうという自覚が芽生えてしまうから。

 子供のころは、無邪気に壊せた。

「だって壊しても、また作ればいいでしょう?」

 ああ、壊したい。壊れたい。
 そしてまた、作りたい。

これがわたし!

だって、わたしは黒猫じゃないもの。

 これがわたし!
 胸を張って、大きな声で、大空へ強く叫びたい。

 これがわたし!
 この声音も、肌の色も、瞳の色も、どう足掻いたって変えることなんてできない。
 だからせめて、胸を張って大きな声で、大空へ強く叫びたい。

 これがわたしよ!

 だって、しょうがないじゃない。わたしはこんな性格で、わたしの容姿はこんなもので。
 それでも、空高く声を上げ続けていれば、誰かに届く。きっと届く。

 これがわたし!

どうして?

どうして?

 三歳になる甥に誕生日プレゼントを上げた。

 フォークリフトのおもちゃ。

 彼は無心になってリフトを動かしている。
「フォークリフトっていうのよ」
 彼の写真を撮りながら、母が説明する。
「これ?」
「そう」
「名前?」
「そうよ」
「どうして?」
「どうしてって、名前なんだもの」

 子供って、無限の可能性を持っている。この疑問も、その内の一つ。大人になる内に自然と消えてしまう、広大な世界への探求心、好奇心。
 フォークは食器のフォーク、あるいはかき上げるという他動詞で、リフトは上昇するという意味を持っている。
 どうして? と疑問に持てば、世界はそれに答えてくれる。大人になったら、誰もがみんな、忘れてしまうことなんだけれども。この言葉は、常に心の内に抱いておきたい。

 どうして?